●舞うか踊らされるか●

 

居間のほうが騒がしい。架空世界に潜り込んでいても、簡易なものだから外の音は完全に遮断されてはいない。
架空の世界のほうが居心地が良い。現実では気を使うから。
「……ボクがずっと起きていてあげるから、キミはもう出てこなくて大丈夫だヨ!」
バーチャル世界に入り浸りながらも、口の端をニヤリとつり上げる。
(本当に、寝てるだけで良いの……?)
あの日。光と共に痛みを感じた。全てがばらばらになるような。そこまでは『彼女』も覚えているようだ。
「今まで散々楽しんできただろう?もうボクに変わってくれたっていいヨネ?」
いつからか、意識は『自分』のものになった。『彼女』はまるで地中にいるような、静かで、暗く、はかない感じのする場所にいる。ボクが、今までいた場所に。
(誰なの、キミは……)
「ボクが本当のバアルだヨ。さ、キミはもう寝る時間ダ。嬉しいだろう?ゆっくりと休めるんだから」
そうしてまた、『彼女』を押し込めた。
「大丈夫、悪いことはしないヨ。ただし、ボクにとっての『善悪』だけど……ネ」
「……バアル様。また何方かとお話なされているのですか?」
架空の世界には自分の世話をしてくれるメイドがいる。かなり高度なAIを持っていて、人の心を解っているかのように相談にも乗ってくれるし、ボクがこの世界で何をしようと肯定してくれる。
「うん、昔からのちょっとした知り合い」
「そう、ですか。私の知らない方と話されていると、ちょっと寂しいです」
いっちょ前に嫉妬のような物言いまでする。だからといって、怒るわけでも、悲しむわけでもなく、純粋に自分を好いてくれているようだった。
「まあ、お別れしたんだヨ。多分、当分……もしかしたら一生会わないかもしれないからネ」

 

 

ザルスは寝ているはずなのに、妙に意識はハッキリとしている。
《これは夢。夢ならば、夢として処理される》
脳裏に直接響く声。電子音のようなノイズ交じりの音声で、男か女かもわからない。
(誰だ、お前は……)
《あまり考えないほうがいい。ただ、聞いて。どうするかは後で考えればいい》
声がそういうのなら、夢だと思うことにした。
《貴方はおそらく、自身でその思考を遮断している。その必要があったということ。思い出せば問題が起きてしまうから。けれど、目的まで忘れてしまった》
(……必要があって、ここに来た……?)
無心でいようと思っても、どうしても自我のない自分に理由を欲してしまう。
《その格好も名前も、本来の自分を隠す為、なのだと思う。目的は憶測でしかないけど、自身をどうにかする為なのかもしれない。それだけ、伝えに来たから。後は自分で決めて》
(まってくれ、俺はどうすれば……?)
夢の中で必死に手を伸ばすが、その声は途絶え、代わりにもっと重々しい声が響いてきて押しつぶされそうになる。
《魔王を殺せ、ころせ、コロ……セ……》
息が詰まりそうになって、飛び起きる。天窓の外は、まだ暗い。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。心臓もバクバク言っている。
これは『夢』だ。だが、ザルスは『夢』について思考をめぐらせるのだった。

 

 

女の声がする。
「助けて!」
また、別の女の声がする。
「そなたは完全ではない。今のままでは世界は無くなる」
最後の声は、男か女かもわからない。
「完全ニ、ナロウ、ナロウ、一ツニ。我ト。」
この世界に来る前から、声は時折聞こえていた。酒の飲みすぎによる幻聴だと思うことで誤魔化してきたが、この世界へ来てからというもの、シラフだろうと寝ていようと構わず語りかけてくる。
「……おじさん、あんまり苦労はしたくないんだよなあ。あんまりっていうか、しないほうが嬉しい感じ?楽して生きたいなあ」
独り言をぼやく。多分、声のせいで疲れているのもある。
声はその時々で違うが、少なくとも後者二人は前々から語りかけてきていた。だから最近は余計に雑音が増えたといって良い。
二番目の声が、ボヤキに応えてくる。
「貴方の望みであれば仕方がない。それが貴方の生き方だ」
三番目がそれに言葉を重ねてくる。
「我ニマカセレバイイ。委ネレバイイ。オ前ハ、何モシナクテ良イ」
どちらも自身の言葉を否定はしてこない。どちらかといえば前者は自発を促し、後者は委任を推し進めてくる感じはあるが。
このことは、まだ誰にも話していない。
一人目の声も気になりはするが、状況が全くわからない以上何もできない。
この先、この声たちとどうやって付き合っていくか。のんきそうなカミの、内に秘めたちょっとした悩みの種である。

 

 

皆が絵画の写真を見て、自分に似ているといった。
ただ、アデリーだけは絵画の中の違う部分を見ていた。
(あれは……お父さんのサイン……)
時折、出かけていたのはあの絵画を描きに行っていたのかも知れない。
「女神様……かあ……」
物語の中に出てくる水の神は美しく気高くて、子供心に憧れたものだ。いや、今でも信仰は厚い。
父は何故、私を外に出さなかったのに大勢の人の目に触れるあの絵を描いたのだろうか。
あの絵画がどういう意味を持つのか、知りたい気もするが少し怖い気もするアデリーだった。

 

 

『魔王』の役割の話を聞いた。
このゲームのプログラムの解析をしたらしい。ザルスからこれ以上はアクセスするのは危ないといわれたのだが。
誰にも言っていないが、役所の中でも通信、それも政府の特殊回線などを扱う立場にいるので政府固有のコードを所持している。ローゼンクラン特別市都市整備局3課エドワード・ウォーカー主任の名は伊達ではない。
「さて、踏み込もうと思えば、もう少し踏み込めないことはないのですがね……どうしましょうか……」
エドワードの伏し目がちな目が少しギラついている。
あまり同調や強要は好きではない性分だ。そして、『禁止』という言葉にはめっぽう弱い。
心の奥底で炎がたぎってくる。
勿論、上手くやらなければ、自分も含めてここの全員が危険に晒される。
「本気を出さねば、やられる……ふ、ふ、ふははははは……」
それがかえって、彼の好奇心をかき立てる。
「どうしました?エドワードさん」
不意に声をかけられ、我に返る。
「テ、テオさん。べ、別に。なんでもありませんよ」
「そう、ですか。ならいいんだけど……」
彼らの危険を顧みずにハイリスクハイリターンか、それとも地道にもっとこのシステムについて調べるか。
エドワードは自制心と必死に戦うのだった。

 

 

料理長として、皆の好みは知っておきたい。
順番に徐々に聞いていけば良いだろうと思い、まずは家主から尋ねることにした。
「アズリエル殿。好きな食べ物などござらぬか?」
話しかけられて嬉しそうに、こぼれんばかりの笑顔で少女は答えた。
「そだなー。甘いものは大好き!イチゴとか、アイスクリームとか、ケーキとか!」
「成程……洋菓子などにも挑戦する良い機会かもしれぬ、感謝致す」
「ううん、アズも、珍しい材料とか見つけたら教えるね!いつもおいしいご飯、ありがとね!モンド!!」
やはりおいしく食べてもらえるのが一番嬉しい。
となると、やはり食材も大事ということになってくる。
建物的な衛生はファジーが管理してくれているが、食材ばかりは痛んでくるので、カビや腐敗は遅らせるのがせいぜいで完全に防ぐことは困難だ。
そういうことを考えてもやはり、新鮮な食材を手に入れることは大事だと思う
そういえば、カミはどうやって食材を手に入れているのだろうか。もしそれと突き止めることが出来れば、新しい献立を作ることも出来る。
普通に聞いてもおそらくはぐらかされるだけだろう。
自分で食材を探すか……あるいは和が乱れないようになんとかカミを詮索するか。
料理長モンドの食材確保の試練はここからだった。


 

かっこいい。純粋にそう思った。
「きゅー??」
腕に抱いている、小さな命を護るためにも。強くなりたい。
「あの……ルインさんってトレーニングとかしてるんですか?どうやって強くなったのか、教えて欲しくて」
いさというときには、自分で何とかしろといわれたのがきっかけではある。リュー君と名づけた、この羽トカゲのことだ。
「普通に。この業界、デスクワークとか座り作業が多いから。運動とダイエット兼ねて、キックボクシングとかを始めたのがきっかけ」
キックボクシングをチョイスするあたりが女性としては『普通』とは言い切りにくいが、ゲーム会社で格闘系のものを扱うことも多いだろうし不自然なことではないと思う。
「手っ取り早く力が欲しいなら、腕なり足なり力のある遺電子を選ぶことも出来る時代だし。貴女だってチーターの能力があるんでしょ?」
「はい。ちょっと限界を感じたことはありますけど……」
競技に人生をかけるのを諦めたとき。それに、アームに追いつかれて絶望したとき。だから、走るだけではなくて、何とか回転の速い足を活かせないかと水泳を始めた。
「ふーん、いいんじゃない?テンプレ通りにしなきゃいけないって事はないんだから」
「あの、良かったら一緒にトレーニングしても構いませんか?」
「いいけど、ホントの基礎くらいしか教えられない。私インストラクターじゃないから」
自分は体育教師を目指して大学に入ったので、人に教えるのが向いている人と向いていない人がいるのはなんとなくわかる。多分、ルインさんは後者なのだ。
「わかりました、後は、自分でなんとかやってみます」
簡単な型と、基礎トレーニングを教えてもらい、毎日それをこなすことにした。
一緒にやれればもっと良かったのだが、彼女は彼女なりに進める作業があるらしく、自身もトレーニング以外に出来ることを探そうと思うのだった。