●崩壊ノ前●

 

勇者とは何か。
勇敢さを持った者か
人々に認められた者か。
何かを成し遂げた者か。

若者がどんなに嫌がろうと、世間が勇者として形どってしまえば、この者こそが現実世界では『勇者』なのである。
世界の平穏、安定、そして繁栄。そんなことを求められる。
けれど、そんな力は若者にはない。ただの、少しばかり心の優しい……否、弱いだけの人間なのだ。
生きる限り"勇者への希望と期待"というその責は重くのしかかり、放棄すれば人々の不満は募り世界は曇っていく。
いっそ、忘れてしまえればどんなに楽か。
人々の希望だけを背負ったまま、『勇者』には先の道が見えなかった。

 

 

 <<2648年、赤く黒い世界>> 

彼は幼い頃に事故に遭い、両親をなくしている。
親戚との付き合いもなく引き取り手がなかったため、施設に収容されたが、そこがろくでもない所だった。
強制労働、強引な訪問販売、不法な物品の取り扱いや、窃盗まがいな事までやらされた。
だが生きていく為に、遺電子のない人間であっても「強く」なれたのは好都合だったのかもしれないと今は思っている。
金のかかる遺電子の変わりに貰ったものといえば、手首になされた翼の生えた赤いヘビの刻印だけだ。仲間の判別のためにつけられたいわば『奴隷の証』である。
そんなわけで、その延長で『運び屋』などという安定はしないがそこそこの需要だけはある仕事についているわけだ。

こういう仕事をしていると、たびたび危険に晒される。
その中でも1、2を争うほどの命に関わる大怪我をしたときの事だ。
全く見ず知らずの、たまたま通りがかった女が彼を助け、介抱してくれたのである。
完治にはかなりの時間を要するので、迷惑を掛けないうちに去ろうとしたのだが、その都度見つかって叱られた。
女は何も聞かずこんな男を受け止めた。ややあって、彼から事情を話した後は否定することなく後押しすらしてくれた。
それが彼には心地よく、暖かかった。
完治の後もなにかにつけて彼女の家へ通うようになり、やがて、光を授かった。
まさか、子を持つ日が来るとは思わなかったが、本当に幸せだった。
幸せだと思っていた。

今、そんな彼の手は血にまみれている。
絶望で覆った顔も、
世界も、
闇と炎に彩られて。
自身の腕の中には、もう動くことのない、最愛の妻と娘。
眼前に広がる赤黒いシーンは今後一生、彼……アロエベラ・カーボベルデに付きまとうこととなる。

 

 

 <<2655年某月、山の上の小さな孤児院>>

町の子供たちは、自慢げに特技を披露している。
その"特技"とは『遺電子』と呼ばれる"電子化されたDNA"を手術で取り込むことにより得た『特殊能力』のことである。
やっと物心がついたばかりの頃はそれを持っている他の子供たちが羨ましくて仕方がなかった。自分が弱い事がとても悲しかった。
だが彼女が今生活しているのは孤児院で、子供らしくせがんではみたもののとてもそんな費用が出るわけもなく、町に下りては彼らを羨望のまなざしで眺めるしかなかった。

その意識が明らかに変わったのは彼女が15歳の時だ。
いつものお勤めを終えた後、院長室に呼ばれると小さな封筒を渡された。中にはいまどき珍しい紙の二通の手紙と、一見黒く、だが日の光に透かすと虹色に輝く石のついたペンダントが入っていた。
【この娘の名前はユリカ・ユリリエスト。自分で愛し育てたく思っていたのですが私自身が居なくなりそうなのです。慈悲にすがり申し訳ありません。手紙は娘が十五になった時に渡してください】という内容のものと。
もう一枚には『ユリカへ』と書かれていた。ユリカは自分宛の手紙に目を通す。
【この世界の体系では遺電子なるものが存在します。孤児院ならば埋め込まれることはなく、人様を羨ましく思うこともあるでしょう。けれど自身で選択できるようになった時に、貴女がしっかりと考えて選びなさい。】
ユリカが発見されてすぐに、孤児院に寄付として莫大な財宝が届いたという。もしかしたら高貴な家の出なのかもしれないね、と院長はいう。ユリカにかけられていたペンダントが出自の手がかりになればと残してくれていたようだ。
そして手紙の主の威光に従い、ユリカに遺電子を埋め込まなかったのだという。
正直、今の生活に遺電子の必要性は感じていない。だから、院長の話を聞いても幼い時よりは遺電子が羨ましいという気持ちも減っていた。

これから1年後の、『あの時』が来るまでは。

 

 

 <<2656年5の月、とある研究所>>

「よし、直ったんだよん」
並の成人よりだいぶ小柄の、パワードスーツに身を包んだどんぐりまなこが、ふぃーと一息ついている。
「ありがとうございます、マルロさん。先生ってば頭が良くて実験や手術は失敗しないのに、機械とか装置はからきしダメなんです」
二十歳そこらの華奢で清楚な女性が苦笑いをしてマルロと呼ばれたどんぐりまなこを労っている。彼女の頭の歯車のかんざしは手先が器用な彼が修理ついでに作ってくれたものだ。蒼銀の髪に真鍮色が鈍く光る。
「得手不得手はあるさー。で、そのリズは?」
「先生はまだ実験ルームにいますよ。多分サンプルの検証中だと」
歯車のかんざしの彼女――フィオレンティーナは医療関係の学校に通いながら医師の補佐……看護師や研究助手のようなことをこの研究所でしている。研究者というよりは保険医という立場に近い。
彼女の言う先生、リズという女性とはもう十年来の付き合いになる。フィオレンティーナ自身は子供の頃から父親がこの研究所で働いていた為、良く連れてこられて来ていた。
リズも同じように彼女の父親―養父らしいことは後で聞いたのだが―と共にここに住み込んでいたので、その頃から……すでにお姉さんのように慕っている。
「そうかぁ……お得意さんからお茶を貰ったんだけど、ぼく一人で飲むのもなーと思って、持ってきたんだな」
そしてこのマルロは数年前からこの研究所の設備コンピューターのメンテナンスに来るようになった外部のメカニックだ。
そもそもこの研究所が外部の人間―被験体意外の―を入れること自体が珍しいのだが、そう考えると彼もまた上層に『管理』されているのかもしれないとフィオレンティーナは考える。
「多分もうすぐ終わりますから。お菓子でも用意して待っていましょう」
にこりと優しく微笑む彼女は、天使そのものだとマルロは思う。特にここの二人に関して性的な意味ではなく、純粋な好意は抱いているので特に断ることはせずに椅子にちょこんと座って『先生様』を待つことにした。
「あれ、マルロ、来てたの?」
やがて実験を終えたのか件の女性は部屋から出てくるやコンピューターを覗き込むと、
「ありがとう、直してくれて」
とはにかんだ。フィオレンティーナよりいくらか年上なのだろうが、こういうときの彼女は少し子供っぽく人懐こい表情な印象を受ける。
「このビルのコンピューターのメンテナンスのついでだよん。それと、お茶持ってきたんだな」
フィオレンティーナは知っている。いつも自分以外の人間と接するときに厳しく寂しそうな顔をしているリズがマルロが訪れたときにだけは和み、優しい顔になっていることを。
仕事上のいざこざの多い職場の対人関係の中で、それだけ彼が自然体でリズに接してくれていることが妹分であるフィオレンティーナにとっても嬉しかった。
勿論、自分にとってもマルロは大事な友人だ。
リズとフィオレンティーナは境遇が似ている。共に、すでに父親を―リズの場合は養父だが―亡くしている。
そして、それは多分、上層の指示による……事故に見せかけた強制的な……。
これ以上は考えるのは良そう。今日はめでたい日なのだ。
「先生。忙しくて忘れているでしょう、今日は先生の誕生日じゃないですか。私、ハーブティーのケーキを焼いたんです」
「ええー!リズ、今日誕生日なの!?知ってたら、もっといいもの用意したのになー、ええー!?」
誕生日というのは正確ではない。これはフィオレンティーナが決めた『記念日』だ。リズは子供の頃、養父に救われ育てられたという。保護されたときに記憶喪失状態だったので勿論誕生日も覚えていない。
だから、フィオレンティーナは"彼女と一番初めに出会った日"を「リズの誕生日」だと決めたのである。
「そう、もうそんな日になるんだ……。フィオと初めて会ってから、もう15年も経つのか。あんなにちっちゃかったのにね」
「今でも先生は私のことは子ども扱いするじゃないですか……」
まったく、という振りをして箱からケーキを取り出すと丁寧に切り分けていく。
「三人だけの時くらい、先生はやめてよ」
そう苦笑いして小突いてこようとする姉分をなんとか制すると、悪戯っぽく微笑み返してケーキを差し出した。
「とりあえず保冷機のスイッチや電子ウインドウの連打をやめてくれたらそうします、リズ先生」
「えー?でもリズが壊さなくなったら、ぼく、いらなくなっちゃうなあ」
どんぐりまなこが眉間にしわを寄せて真面目に悲しそうな顔になっている。
「別に、いつだって遊びに来てくれていいのに」
二人がそういうと、マルロは「んー」、と少し考えてそれを言葉にした。
「でも、用事がないと来ちゃダメだって偉い人に言われたんだな」

……この研究所はそういうところなのだ。
リズも、フィオレンティーナも、マルロも、『彼ら』に『監視』されて、『管理』されている。
彼らというのは政府のことだ。
関わりのきっかけは具体的に言えば、フィオレンティーナは父親からの流れだし、リズは政府に保護され引き取ったのが研究者の養父だったからで、政府から直に契約という形をとったのはマルロだけである。
契約といっても、政府の上層と直接したわけではなく、エリーゼという代行人がやってきて書類にサインをしただけなのだが。
マルロは元々、ローゼンクランで軍の下請けとして工作機械や兵器の設計・製造に携わっていた。兵器を作るなどとは露ほども聞かされぬまま仕事をこなしていたが、それなりの知識があったので機密資料やその内容、発注者を見ていけば何を作っているかは容易に想像できた。だが『国の為』というその言葉に、罪悪感を抱えながらも下請けを続けていた。
やがてその技術と仕事の精度を買われるようになり、どこから聞きつけたのか政府に引き抜かれることになる。
本当ならば彼には古代機械の勉強をする夢があったのだが、それには莫大な費用がかかるし、人脈もいる。政府はそれを後押しして、制限付きではあるが古代文明の遺産への干渉権限を与えてくれた。
こうして今の政府の施設のセキュリティ事業に携わっている。
マルロには、今までの贖罪と、自分を必要としてくれる人のために何かを作りたいという目的があるからまだいい。
それに比べてフィオレンティーナやリズは子供の頃からすでに『関わってしまった』ため拒否権などというものはなかった。
辞めるにしても守秘義務のために『拘束の遺電子』を組み込まれてしまっているのでその後の生活も監視や行動制限されることになんら変わりはなく、半ば諦め気味の惰性でここにいるに近い。
それでもフィオは人を救う為だと思ってなんとかやっている。
リズは―――もう少し思うところがありそうだ。

 

 

 <<2656年6の月、とある商店街>>

「秘技!三舞颪ーー(さんまいおろし)!!」
猫の耳と尻尾をピンと立て、小柄な娘が二刀流の大型包丁を振るうと、宙を舞った巨大魚は瞬く間に刺身に切り分けられていく。
もともとは食べ歩きが趣味だったのだが、食材を求めるうちにいつしか独自の調理を極めていた。
人々はそんな彼女を"大道料理人スズカ"と呼んでいる。
特に決まった勤め先があるわけではなく、店から依頼を受けて『魅せる料理人』としてあちこちに出張しながら旅とグルメを楽しむ日々を送っている。
そんなわけで今日は魚屋で解体ショーをしているというわけだ。
タンクトップにパンツスタイル。一見、子供のようだがこれでも二十数年は生きている、れっきとしたレディなのである。大雑把なので、本人も自分の年齢は良く覚えていない。
そんな可愛らしいいでたちと大胆な振る舞いに人々は魅了された。拍手喝采に包まれ、ペコリと大きくお辞儀をする。
今日も店は盛況で、賃金は多目にはずんで貰えたのですっかり上機嫌だ。
「さってー。来るときに見かけた牛バラの包み揚げでも食べよっかなー♪」
……見かけた方向とは、真逆に進んでいる。そしてそのことに彼女、スズカ・ステラは気が付いていない。そう、彼女は根っからの方向音痴なのだ。
「あっるぇ~?こっちじゃなかったかな~?」
首をかしげて、まさに後方を振り返った瞬間。
―――ゴゴゴゴッ!!!!!!!
地鳴りのような低い音と、まばゆい光にあたりは包まれた。
「なに……これ!!!まぶしくて、目が開けられない……!!」