●信じるべきか、疑うべきか●

 

すっかり辺りが闇に包まれた頃。
アオバは廊下を歩いていた。この辺りは明かりが少なくて、少し暗くて見通しが悪い。
そして、誰かとすれ違おうとしたときの事。
視界がゆがんだかと思うと、自身の右腕の肘から下が植物のようになり、指がまるで蔓のように伸びた。蔓は……通行人の首を絞めている。
(だ、だめ!やめて!!)
声が声にならない。
なんとか相手から指を離そうとするが、全く自分の意思は受け付けられない。
(くっ……しかたない……)
「うわあああああああああああああ!!!!」
アオバは、思い切って相手が握っていたサバイバルナイフに手を沿え……自分の右腕を切り落とした。被害者が死ぬよりは、そのほうが良い。
「!!!」
廊下に血しぶきが飛び散った。
アオバはさほど力を持っていない。だから、相手の力を借りた。
「ゲホ、ゲホっ!!!」
なんとか振りほどかれた被害者……エリーゼは咳き込みながらも目を見開いてこちらを警戒している。
やがて息が整うと静かにドスのきいた声でつぶやいた。
「……てめえ。それはなんだ」
「……ごめんなさい……私にもわかりません……」
正直に、そう言うしかなかった。こんなこと初めてなのだ。自分が一番戸惑っていて、どう説明して良いか解らない。
「前からそういう体質なのか?」
植物の遺電子を持っているものなど見たことがない。
それよりも……切ったはずの右腕が、完全に元に戻っていたのだ。落ちた腕が元どおりくっついたのだろうか?
「こんなに急速には……」
ちょっとした切り傷が1時間くらいで消えたり、あざが1日で消えるくらいの、それでも通常の人よりもだいぶ早い回復力を持っているのは確かだ。今の会社……ネクストヘブンに入る前の記憶はないが、そこからはそういう体質だった。
さすがに仕事でドジってこっぴどい骨折をしたときには、完治に半月くらいはかかったものだ。それを考えると、腕を切り落としてなんともないなどということはありえない。
「……大丈夫か?顔真っ青だぜ」
むしろエリーゼを気遣うべきなのに、とアオバは思うのだが、今は気が動転してしまって言葉にならない。
少なくとも、エリーゼの首の周りにまだ少し絞めた痕が残っていることからも、これらが全て幻覚だったということはありえない。
「す、すみません、本当に……」
やっとそれだけを言葉に出来た。力がぬけて、ガクリと膝から崩れ落ちる。
「お、おい、しっかり気を持ちやがれ!本当に、何もわからないんだな?」
「はい……」
エリーゼの方も、呆然としているアオバに対して怒るに怒れず、自身もまた一瞬でも殺意をもったので頭を振って思考を切り替える、
「もうちょっとでブチギレてテメエのこと殺そうとするとこだったからな、今日のところはお互い様ってことにしとく。相手があたしでよかったな、それ何とかしねーと確実に被害者が出るぜ」
仮に、もしアオバが死んでもこれは正当防衛だ。未知の生物に殺されそうになったのだから。
やろうと思えば出来たはずだ。首を絞められても、エリーゼにはそれだけの『力』がある。だから、相手がアオバであることに躊躇していたのだろう。
「一応、皆には言えよ?黙ってるならあたしが言う」
「い、いえ、自分でっ!!」
さすがにそこまで手を煩わすわけには行かない。
ひとまず、お互い落ち着くために部屋に戻ることにした。……血のあとが生々しい。これもファジーに謝らねばと思う。

別れた後、エリーゼは頭の片隅にあったことを整理する。
(あれはもしかしたら……政府の研究と何か関係があるのだろうか……)
獣人の遺電子は解りやすい。動物を基にしている。では、エルフやドワーフの遺電子の基とは何なのだろうか?
純粋に、肉体の強化……ドーピングを安全にしたようなものだと説明はされていたし、化学物質だという資料も貰ってはいた。
だが、どうにも釈然としない。エリーゼの感がそういっている。
「どうすっか……」
不意に訪れた厄介ごとに、エリーゼはため息をつくしかなかった。

 

 

自分について調べてみたことがあった。
13歳からの記憶は持っている。だから、自分の疑問を抱いたときに、自分の素性を知ろうと思ったのだ。
役所にいったが、名前も住所も不定では門前払いされた。
DNA鑑定も考えたが、都合の悪い素性ならもみ消されるのがオチだ。高い金を払って該当なし、では無駄も良いところだろう。
だれか、医者の知り合いなどコネがあったとしても、そこから親など該当する人物を探すとなると結局政府を通すことになるし、役所と同じような待遇をされるのではなかろうか。
「自分の素性を知ることに意味はあるのでしょうか?」
あまり自発的に群れない、もの静かなユウキが隣に座っていた。
「そういえば、キミも素性わからないんだっけ?」
「はい。ですが、それに対してストレスを感じたこともありませんし、不自由を感じたこともありませんでした」
あまりに無機質なユウキの姿は、まさに彼女の言葉通りのイメージだ。かと思えば意外と能動的で、こうやって誰かに質問だけして立ち去る姿はよく見かける気がする。
「キミはなんのためにここにいるの?」
それは、自身に対する問いかけでもあった。何故ここにいるのか。シェルターだとか、そんな狭い意味ではない。自分の事も良くわからないのに、何が出来るのだろうかと考えている。探偵にしても、拾われた相手がしていたから流れで続けていただけであって、本当にやりたいことなのかわからない。
「私は世界のために存在しています。私は勇者なのです」
いともあっさりと、彼女は答えを出した。けれど、その言葉の中には彼女の意思というより『受動的』な……『誰か』の意思によってそうさせられている様な印象を受ける。
確かに、自分の素性を知らなくても生きていくことは出来る。なにか、目的を見つけて、それに向かって進めば良い。
けれど。
もし、自分が生まれたことに何か意味があるのなら。
目的「だけ」を持ったユウキと。
生きる目的を欲するワール。
二人は似ているようで、魔逆の性質を持っているのかもしれない。

 

 

夢を見ている。
そこは深き森に包まれた、小さな村。住民は少なく、義理の祖母と二人だけの地味な暮らしをしていた場所だ。
祖母が語りかけてきている。
「王様は恐ろしい魔物だとか、島の脅威だとか言ってたけどねえ。私は守り神だと思うんだよねえ」
何の話だろう。ただ、祖母のゆったりとした口調と、暖かな笑みが心地よくて。
こののんびりとした時間がずっと続いて欲しいと、そう願ってしまう。
「タスクや。もしお前さんが家族の無念を晴らしたいのなら、もう一度会いに来いと言っていたよ」
「ねえ、おばあちゃん。それ、誰が言っていたの?」
祖母は微笑むばかりでそれ以上の返事は帰って来ない。
古きよき、暖炉のぱちぱちという薪の燃える音が耳に響いてくる。
タスクは……このまま目を覚まさずにいようか、シェルターの現実に戻るか、悩んでいる。
夢と、現実のハザマで。

 

 

世話役という立場上、たくさんの人から、たくさんの情報が手に入る。
皆が集まるときは情報交換や質問大会になることも多いのでそれこそ情報の取捨選択が大変だ。
 加えて今日はタスクとお茶をしながら世間話も長時間にわたってした。

ルインにはあれから地下の偽装装置も見せてもらったが、確かに小型化するのはなかなかに大変そうだった。
こればかりは技術者に頑張ってもらうしかないが、何か材料や技術を見つけるほうなら自分でも出来るかもしれない。

アオバが土下座までして謝ってきたので何事かと思えば、成程、確かにこの床と壁は、どす黒くなってしまった朱にまみれて手ごわそうだ。
「血液というのはなかなかに頑固なものでございますからね……」
幸い、クレンザーなどは常備されていたので備品のデッキブラシと雑巾を持ち出して清掃に当たる。
さすがに事情は聞いた。エリーゼの方はさほど首を絞められたことに関しては気にしていなかった。どちらかといえばアオバの腕のことに執着していたような感じだ。
アオバのほうはショックこそ受けていたのだが、今後、皆や自分の体質とどう接していくか前向きに検討している様子だった。
皆それぞれに、この世界での生活について考えている。

「あたしはどうすべきなんですかぁね……」
帰ることに重きを置くか、それともここで皆の生活を支えることに重きを置くか。
バアルが言っていたように、ここで暮らす人もでて来るのかもしれない。
そもそも『役割』システムがあったとして、全員がここから抜け出せるという保障もないし、抜け出した後の世界がどうなっているかもわからない。
仮にこの『ゲームの世界』が終わってしまったら、その後に何が残るのだろう?元の世界は現れるのだろうか?
"セカイハ、ニタク、シハイスルカ、サレルカ"
脳裏に言葉が浮かぶ。自分の意思ではない。誰かの意思だ。
「勇者と、魔王の陣営、ってぇこってすか、ね?」
返事はない。

ただ、何が正義なのかはファジー自身が決めるしかないのだ。

 

 

「ソラヲ、メザソウ。コノセカイヲ、ヒロゲヨウ」
ミッションと共に、届いたメッセージだ。勿論、出所はわからない。

人々の疑心、憎悪、悲観、嫌悪、嫉妬そんな類の感情が負の渦となって世界が闇に覆われたとき、生物は弱いものから息絶えて食物連鎖の輪が切れた。
人は神の救いによってその地を捨て、空飛ぶ船で新たな天地へと旅立ったという。
シエルクルールの伝承の一つである。
ホフヌングも子供の頃、空飛ぶ船に憧れたものだ。幼い子供だからこそ世界の危機ということまで深く考えなかったのだが……。
この世界はゲームの世界だと言っていたが、果たしてそういうものは存在するのだろうか?
メッセージのように、空に何かあるのだろうか?
それに。
憧れてはいたが、いつしか諦めてしまっていた夢を、再び追いかけても良いものなのだろうか。

 

 

「ねーねー、テオ!ミッション届いた?」
「うん、来たみたいだけど……まだ説明部分をみただけで、内容はしっかりと見てないんだ」
まだ、このシステムについて半信半疑なのでどう扱おうか悩んでいる。
「アズね、中立って書いてあったんだけど、テオはどっちだったのかなって」
注意書きには人に話すとペナルティがつくと書いてあったように思ったが、アズリエルは全くそれを気にしていないようだ。
「中立ってことは、アズはどっちにも味方できるってことか」
「でも、どっちの陣営にいたって、関わらなかったらおなじことじゃない?」
言われればそうなのだが、やらなければやらないでいろいろ問題がありそうなことが書いてあった気がする。
「ミッションの内容によっては、参加しないと困ることがあるのかもしれないね」
「アズのみる?」
純粋に自分を信頼してくれているのだろう。しかしミッションは他人に提示してもウィンドウが見えないようだ。何か虹彩認証のような特殊な機能が働いているのかも知れない。
「そっか、みえないんだ……そうすると、本当か嘘かわからなくなっちゃうね」
つまりは、情報戦として疑心暗鬼になりがちなシステムということだ。全員が全員「勇者側」だと言い張ることも出来る。
「ぼくはアズのこと信じるよ」
「うん。あのね、『魔王』をあばいた人に、『魔王』の役割を渡すことができるみたい。あとね、魔王は、悪くないかもしれないよ?もちろん、勇者もね」
どうやら、アズリエルのミッションには情報が書いてあるようだ。もしかすると皆がそれぞれ情報を持っている可能性がある。
「魔王が変わるかもしれないんだ?……もしかして勇者とかもあるのかもしれないね」
「そうだね、アズはできるだけ、皆と情報の交換が出来れば良いなあと思うんだけど……でも、ペナルティもあるし、そうじゃなくても魔王側の人は本当のこと言いにくいよね」
やっぱりペナルティを知っていて、それでも話してくれたようだ。
「ぼくは自分のをちゃんと読んでから、アズに話すか決めるよ。もし、なにか良くないことで巻き込んじゃったら悪いから」
「うん、ありがとう!じゃあ、皆にも魔王の事教えてくるー!」
そう言うが早いかアズリエルがもう廊下の向こうまで走って手を振っていた。
彼女と入れ替わる形でルインがやってきた。
「アズ、一緒じゃないの?」
「あ、今までここに居たんですけど……皆にミッションのこと話してくるって」
「そう……あまりあの子みたいに、誰彼話すのはお勧めしない」
単純にペナルティのことを言っているにしてはあまりに重い口調だった。
「なにか……あるの?」
「そう、察してくれるんだ?テオは優しいね」
普段、あまり見たことがない、優しく悲しそうな目で彼女はこちらを見つめている。
「私が止めてもあの子、反発するだけだから……」
「ぼくが止めたほうが?」
アズのしていることが良くないというのだけは察した。聞いて良いのか悩んでいると彼女の方から口を開いた。
「ゲームとしての成長値だけじゃない。命も削ることになる。……テオの言うことなら、聞くかもしれない。でも相当頑固だから……テオの手に負えないようなら気にしないで」
命にかかわるというのなら、放っておくわけにはいかない。すぐに追いかけることも考えたが気になっていることがある。
「なんでそんなに、アズはルインさんのこと避けてるの?」
「私が口うるさいからでしょうね。チカヤは怒っても本気じゃないから。自由にしたいのは解るけど、そういうわけにもいかないのよ」
立場を考えればそうなるのかもしれない。アズは重要機密をもっている会社の要員で、親からの干渉もほとんどなく育ってしまったから怒られたり束縛されることに慣れていないのだろう。
「だからね、そのストレスのはけ口みたいで悪いけど、貴方がいてくれるからあの子の心は壊れなくて済んでる」
「そんな、話きいてるだけだよ、ぼくは。でも、その感じだと、命削るってことはもうアズには言ってあるんだね?」
ルインは頷いている。それを覚悟でアズがああやって話してくるということは彼女なりに命を張ってでも抗争を避けようとしているのかもしれない。
「わかった、行って来るよ」
話を切り上げて、アズの走っていった方向を振り向いたところで、腕の裾を捕まえられた。
「?」
「ちょっとまって。もう一つだけ、話しておきたいことがある」
彼女の話を真摯に受け止めるか、流すか、少々戸惑う。すでに『情報戦』が始まっている可能性があるから。
さっきのアズの話にしてもそうだ。
本当に、命を削るかはわからない。彼女がアズリエルの行動を止めたいだけなのかもしれない。

 

皆は……このミッションをどうするんだろう。

 

そして……ぼくはどうしたいんだろう。